純粋性と真実 [ヴィシュヌ]
ヴィシュヌ
Vishnu
純粋性と真実
Purity and Truth
4/30/10 5:35 PM 1 May 2010 - 2:59am
親愛なる皆さん、わたしはヴィシュヌ;わたしは、このメッセージを共有したいという思いから、皆さんと純粋性と真実の問題について話をするためにやってきました。
わたし達は現在この世界体制の中で漸進的変化をしようとしています。
わたし達は、わたし達は何処から来て、ここで何を行っていて、何時それをすべきかについて、自分達の真実を認識する位置に既に達しています。
わたし達のこころは開き、わたし達の精神の霧は晴れ、もちろんわたし達の魂は拡大しているため、わたし達はこうした物事を認識しています。
わたし達は既に自分達の魂の拡大を完了しているため、わたし達は、他者のために、自分達の生命の流れを綺麗にする位置に達しています。
物質に降下している時、わたし達はより低い道筋を旅しているほど、わたし達より高い密度を獲得していて、これは現在この惑星を占めているより高い秘奥の領域で良く認識されています。
‘神格’から物質的な外部世界での受肉まで降下し、再び戻ります。
それは降下の道筋であり、不純物を得ているため、浄化を必要としています。
わたし達が旅をするその道筋は、わたし達のこころを指揮している存在となることを許しているものとまったく同じです。
わたし達のこころは極めて聖なる領域であり、それは力が存在する場所になっているからです。
人がその人の道筋に沿って不純物を獲得した時、それはわたし達のオーラの領域の輝きがより少なくなることを許されるだけです
わたし達が自分自身の純化を求める時、どのような道筋を旅していようとも、人はより低い水準の真実を超越するために、より高い真実を求めなければならないのです。
低い水準の真実は、その道筋のなかでそれ自体を虜にするために不純物が許されています。
多くの生涯を経た後はカルマのパターンが存在しています。
このパターンは、生命の流れから現れている魂の拡大によってそのままにされているこの“誘惑”からもたらされて、依然として存在しています。
大いなる浄化は、かなり高い水準の真実で人々自身を浄化するために、ここに存在するすべての人々に認められています。
純粋になった時、真実は至福になります。これは本当に簡単に理解できます。
探求者の道筋は、より熱心にわたし達の賛意を求めることが許されています。
ただ一定の真実が存在しているだけで、現時点では、その真実はこの世界体制の中で許されています。
これが、ガイアのすべての存在達に呼び掛けるためにわたしが現れた理由です。
この宇宙にはかなり多くの賢明な知識が存在していて、これはまだこれまでこの領域に現れていませんが、しかし純化の水準としては、賢明な知識が受肉した人々の自覚の中に流れて行くこのより高い段階を認める必要がある水準にまだ集団的に到達していません。
この世界体制の中に結実させるためには、その真実は集団的にかなり高い水準の純粋性を必要としていて、より高い宇宙に属するわたし達が皆さんの現実性でその真実を指導したいと考えています。
どうぞ皆さんのこころの中にそれを発見して、不純なすべての領域を浄化する純化の過程を許してください。
わたしはその真実を自覚していて、それはここにいる多くの人々が単純に長い間忘却してきただけで、他の個人達と最も高い人間関係の調和のために集団全体が個人それぞれを完全に癒すにはかなり長い間を必要になるでしょう。
この今という時点では、それを具体化した多くの人々が現れているかもしれませんが、しかしわたしがこの状況はすぐに変わりそう長引かずにすぐに訪れると語る時、わたしは真実を伝えています。
皆さんの生命に吹き込んでいる変化の風の中に多くのものが存在しています。
それは、かつては決して存在していなかった新しい生命が、今ここに存在しているからです。
この惑星は、すべての宇宙の中で、その測り知れない逆境が認識されてきていて、全宇宙はこの正確な位置まで気付いています。
この理由は、この銀河や宇宙の中のひとつの惑星が、現実性の混在した系が許されて同じ時空間の中でお互いが共存しているからです。
5次元やそれ以上の次元において、両方の奉仕の道筋が愛のひとつの力として統一され、あらゆる面で調和が取れ、差異を鎮め、わたし達すべての中に本来備わっているすべてがひとつとして存在しているというひとつの真実を認めて完全に進化するまで、現実性が混在して存在することは有り得ません。
これがわたし達の進化において到達した場所であり、すべての人間が、愛の中で調和するという整然とした結束として一体になる場所です。
それは、武器、冷酷な行い、思慮分別のない身振りを止め、魂、こころ、そして精神を純化する時です。
平和のなかでのみ、ひとはより高い進化の道筋を獲得することができます。
わたし達が現在調和のうちに統合している2つの探求者の道筋は、ここではすべての存在が気付いている自己に対する奉仕と他者に対する奉仕の問題です。
これは、‘最上の創造者’に戻るすべての超越した道筋を貫いて有効になるでしょう。
その道筋は、ひとつで存在しているものとして、権限を持つことが許されます。
すべてがひとつであり、すべてはつながっています。
また、何れの奉仕を問わずすべての探求者を‘刈り入れる’時でもあります。
ある出来事が起ろうとしていて、その出来事はここで何年もの間伝えられてきたものであり、起るべきものとして、これは現在起っていて、日々ますます増大しながら、ある人々にとって充分なように、他の存在達にとって遥かに早く、この世界で応じられる困難を伴って記録の中にそれ自体今まで決して存在していなかったものを明らかにしています。
これはその提案です;自己に対する奉仕は他者に対する奉仕を提供します。
他者に対する奉仕の探求者の道筋は真に汝の敵を愛することができ、平和として存在することが可能です。
こうした純化を探求する人々の融合は、奉仕の内容にかかわらず、決して人類に再び生じることはなく、その落下は、今修復されています。
わたしは差し当たり皆さんをそのままにしておきますが、もしも誰かがわたしと伴に瞑想したいのであれば、わたしはこの体制の中ですべての人々の求めに応じられます。
ヴィシュヌ
Vishnu
http://www.facebook.com/profile.php?id=100000058467154&ref=profile
http://lightworkers.org/channeling/104950/purity-and-truth-vishnu
翻訳・森のくまさま
............いつもありがとうございます.............☆
Vishnu
純粋性と真実
Purity and Truth
4/30/10 5:35 PM 1 May 2010 - 2:59am
親愛なる皆さん、わたしはヴィシュヌ;わたしは、このメッセージを共有したいという思いから、皆さんと純粋性と真実の問題について話をするためにやってきました。
わたし達は現在この世界体制の中で漸進的変化をしようとしています。
わたし達は、わたし達は何処から来て、ここで何を行っていて、何時それをすべきかについて、自分達の真実を認識する位置に既に達しています。
わたし達のこころは開き、わたし達の精神の霧は晴れ、もちろんわたし達の魂は拡大しているため、わたし達はこうした物事を認識しています。
わたし達は既に自分達の魂の拡大を完了しているため、わたし達は、他者のために、自分達の生命の流れを綺麗にする位置に達しています。
物質に降下している時、わたし達はより低い道筋を旅しているほど、わたし達より高い密度を獲得していて、これは現在この惑星を占めているより高い秘奥の領域で良く認識されています。
‘神格’から物質的な外部世界での受肉まで降下し、再び戻ります。
それは降下の道筋であり、不純物を得ているため、浄化を必要としています。
わたし達が旅をするその道筋は、わたし達のこころを指揮している存在となることを許しているものとまったく同じです。
わたし達のこころは極めて聖なる領域であり、それは力が存在する場所になっているからです。
人がその人の道筋に沿って不純物を獲得した時、それはわたし達のオーラの領域の輝きがより少なくなることを許されるだけです
わたし達が自分自身の純化を求める時、どのような道筋を旅していようとも、人はより低い水準の真実を超越するために、より高い真実を求めなければならないのです。
低い水準の真実は、その道筋のなかでそれ自体を虜にするために不純物が許されています。
多くの生涯を経た後はカルマのパターンが存在しています。
このパターンは、生命の流れから現れている魂の拡大によってそのままにされているこの“誘惑”からもたらされて、依然として存在しています。
大いなる浄化は、かなり高い水準の真実で人々自身を浄化するために、ここに存在するすべての人々に認められています。
純粋になった時、真実は至福になります。これは本当に簡単に理解できます。
探求者の道筋は、より熱心にわたし達の賛意を求めることが許されています。
ただ一定の真実が存在しているだけで、現時点では、その真実はこの世界体制の中で許されています。
これが、ガイアのすべての存在達に呼び掛けるためにわたしが現れた理由です。
この宇宙にはかなり多くの賢明な知識が存在していて、これはまだこれまでこの領域に現れていませんが、しかし純化の水準としては、賢明な知識が受肉した人々の自覚の中に流れて行くこのより高い段階を認める必要がある水準にまだ集団的に到達していません。
この世界体制の中に結実させるためには、その真実は集団的にかなり高い水準の純粋性を必要としていて、より高い宇宙に属するわたし達が皆さんの現実性でその真実を指導したいと考えています。
どうぞ皆さんのこころの中にそれを発見して、不純なすべての領域を浄化する純化の過程を許してください。
わたしはその真実を自覚していて、それはここにいる多くの人々が単純に長い間忘却してきただけで、他の個人達と最も高い人間関係の調和のために集団全体が個人それぞれを完全に癒すにはかなり長い間を必要になるでしょう。
この今という時点では、それを具体化した多くの人々が現れているかもしれませんが、しかしわたしがこの状況はすぐに変わりそう長引かずにすぐに訪れると語る時、わたしは真実を伝えています。
皆さんの生命に吹き込んでいる変化の風の中に多くのものが存在しています。
それは、かつては決して存在していなかった新しい生命が、今ここに存在しているからです。
この惑星は、すべての宇宙の中で、その測り知れない逆境が認識されてきていて、全宇宙はこの正確な位置まで気付いています。
この理由は、この銀河や宇宙の中のひとつの惑星が、現実性の混在した系が許されて同じ時空間の中でお互いが共存しているからです。
5次元やそれ以上の次元において、両方の奉仕の道筋が愛のひとつの力として統一され、あらゆる面で調和が取れ、差異を鎮め、わたし達すべての中に本来備わっているすべてがひとつとして存在しているというひとつの真実を認めて完全に進化するまで、現実性が混在して存在することは有り得ません。
これがわたし達の進化において到達した場所であり、すべての人間が、愛の中で調和するという整然とした結束として一体になる場所です。
それは、武器、冷酷な行い、思慮分別のない身振りを止め、魂、こころ、そして精神を純化する時です。
平和のなかでのみ、ひとはより高い進化の道筋を獲得することができます。
わたし達が現在調和のうちに統合している2つの探求者の道筋は、ここではすべての存在が気付いている自己に対する奉仕と他者に対する奉仕の問題です。
これは、‘最上の創造者’に戻るすべての超越した道筋を貫いて有効になるでしょう。
その道筋は、ひとつで存在しているものとして、権限を持つことが許されます。
すべてがひとつであり、すべてはつながっています。
また、何れの奉仕を問わずすべての探求者を‘刈り入れる’時でもあります。
ある出来事が起ろうとしていて、その出来事はここで何年もの間伝えられてきたものであり、起るべきものとして、これは現在起っていて、日々ますます増大しながら、ある人々にとって充分なように、他の存在達にとって遥かに早く、この世界で応じられる困難を伴って記録の中にそれ自体今まで決して存在していなかったものを明らかにしています。
これはその提案です;自己に対する奉仕は他者に対する奉仕を提供します。
他者に対する奉仕の探求者の道筋は真に汝の敵を愛することができ、平和として存在することが可能です。
こうした純化を探求する人々の融合は、奉仕の内容にかかわらず、決して人類に再び生じることはなく、その落下は、今修復されています。
わたしは差し当たり皆さんをそのままにしておきますが、もしも誰かがわたしと伴に瞑想したいのであれば、わたしはこの体制の中ですべての人々の求めに応じられます。
ヴィシュヌ
Vishnu
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翻訳・森のくまさま
............いつもありがとうございます.............☆
2010.03 ヴィシュヌ:最高位からのメッセージ [ヴィシュヌ]
ヴィシュヌ:最高位からのメッセージ(翻訳:森のくまさん)
Message from Most High
4 March 2010 - 5:38pm
エレミア・ゼブロン・ストリックランド経由
Channeler: Jeremiah Zebulon Strickland
3/3/2010 9:44:44 PM
今、親愛なる皆さんと伴にいます、わたしがここに出向いたのは、少し短めの言葉でわたしの愛を述べるためです。
わたしはヴィシュヌ、この惑星に対するわたしの愛はいつも広い範囲に及んでいます。
皆さんの時間でいうところの長い年月、多くの人々を導いてきました。
また、この世界の人々のために私自身多大な意識を割いてきました。
わたしという存在の大部分が、数十億という多くの魂達、その真実に忠実であることを選択した魂達の卒業という大いなるこの時に、実現されるであろうことを認識してきました。
数多くの長い周期性を経てさえ、その中で堕ちてしまった人々に救いはないように思われていましたが、その救いの時は今ここに存在しています。
これは、次元上昇した生命に帰るための明快な呼び掛けを受け入れて他の世界からここに来た多くの存在達は言うまでもなく、この世界の人々にとっての光源に至る道筋に存在する基準点になります。
回帰に向って全力を傾けたこの現在の大いなる始まりを受けて、この世界に注がれている祝福を明らかにすることが今始まっていて、この真実が及ぼす影響を感じているところです。
それは多くの恒星システム、銀河を越えて、より遠くの我々のような上位のほとんどの宇宙世界にいる存在領域に至るまで、認識されています。
その支柱は創造のすべてを超えたその統一性の中で既に完成されており、至高の段階から最も低い段階までその両方の場所で完全に支えられています。
これにより、この聖杯の列に沿って存在している人々は、この種族から、存在が光源の中に参入する領域にまで達する超越の運動の支柱に至るまで、分断された自己すべてを魅了し始めることを許されています。
今皆さんに語り掛けているわたしの根拠は、単純に皆さんには苦痛と苦悩から生み出される恩寵が許されるようになるということです。
これは我々すべてにとって最も喜びに満ちた時であり、それは、我々は数多くの時代を経ながらこの活動を企図してきたからです。
その期間の長さは、誰も数えようとすら思わないほどです。
もはやこれ以上苦しむ必要はなく、そうした苦悩は、存在する愛になることを選択する人々にはこれ以上何の役にも立つことはないからです。
我々は法により生き、その法の中で我々の真正の自己やその現実性に統合し続けていて、我々はその現実性の中に参入しようとする意志を抱いています。
唯一愛と調和にのみ許されている空間が存在していて、惑星地球は現在完全にその自由への上昇に向った動きを促されています。
わたしは必要性を感じているすべての人々がわたしの自我に呼び掛けてくれることを願っています。
または、普遍存在にして、我々自身の個人的な自我を顧みずに行ってきた創造のすべてに対する我々の奉仕に忠実な存在でもある神々や女神達に向っても呼び掛けてくれることを願っています。
我々はすべての創造に属する同じ原初の根源のすべてであるため、ただ我々すべてという集合体のために存在しています。このことを、皆さんは形式的に神として自覚しています。
わたしは皆さんにこれを率直に語ると伴に、わたしという自己を求めているすべての人々にわたしの愛を委ねます。
ヴィシュヌ
Vishnu
http://lightworkers.org/channeling/100877/message-most-high
*********
参照:(ウィキペディア)
ヴィシュヌ(Vishnu, デーヴァナーガリー)は、ヒンドゥー教の神である。三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。
一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラム(円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。
そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。
メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいる。ヴァーハナ(乗り物)はガルダと呼ばれる鳥の王で、鷲のような姿をして描かれたり、鷲と人を合わせた様な姿で描かれる。
神妃(妻)はラクシュミーで、ヴィシュヌの化身に対応して妻として寄り添っている。
ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行きそこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされている。
古くは『リグ・ヴェーダ』にもその名の見える起源の古い神格で、世界を3歩で踏破する自由闊歩の神だった。
その名はサンスクリットで「広がる」「行き渡る」を意味する√viSに由来し、恐らくは世界の果てまで届く太陽光線の神格化であったと考えられる。
そのため後には太陽神アーディティヤの1人ともされた。
最終的には他の太陽神スーリヤを取り込んだ。
しかし、『リグ・ヴェーダ』では、まだ特に重要な位置は持ってはいない。
神話も、少数の讃歌を除けば、主要神インドラが悪と闘う際の盟友のひとりとして言及されている程度である。
後のヒンドゥー教の時代になって、英雄をその化身、アヴァターラ(後述)として取り込んで行くことで民衆の支持を集め、ついにはブラフマー、シヴァと共に三神一体(トリムールティ)の最高神の位置を獲得した。
10世紀前後に作られたカジュラホの寺院郡のいくつかで祭られているヴィシュヌの神像は、寺院を飾るインド的彫刻とくらべて、メソポタミアやエジプト的な印象を受ける。
10世紀以降に南インドでヴィシュヌに関して独自の儀式や教義が発達した。
................くまさんありがと..................☆
Message from Most High
4 March 2010 - 5:38pm
エレミア・ゼブロン・ストリックランド経由
Channeler: Jeremiah Zebulon Strickland
3/3/2010 9:44:44 PM
今、親愛なる皆さんと伴にいます、わたしがここに出向いたのは、少し短めの言葉でわたしの愛を述べるためです。
わたしはヴィシュヌ、この惑星に対するわたしの愛はいつも広い範囲に及んでいます。
皆さんの時間でいうところの長い年月、多くの人々を導いてきました。
また、この世界の人々のために私自身多大な意識を割いてきました。
わたしという存在の大部分が、数十億という多くの魂達、その真実に忠実であることを選択した魂達の卒業という大いなるこの時に、実現されるであろうことを認識してきました。
数多くの長い周期性を経てさえ、その中で堕ちてしまった人々に救いはないように思われていましたが、その救いの時は今ここに存在しています。
これは、次元上昇した生命に帰るための明快な呼び掛けを受け入れて他の世界からここに来た多くの存在達は言うまでもなく、この世界の人々にとっての光源に至る道筋に存在する基準点になります。
回帰に向って全力を傾けたこの現在の大いなる始まりを受けて、この世界に注がれている祝福を明らかにすることが今始まっていて、この真実が及ぼす影響を感じているところです。
それは多くの恒星システム、銀河を越えて、より遠くの我々のような上位のほとんどの宇宙世界にいる存在領域に至るまで、認識されています。
その支柱は創造のすべてを超えたその統一性の中で既に完成されており、至高の段階から最も低い段階までその両方の場所で完全に支えられています。
これにより、この聖杯の列に沿って存在している人々は、この種族から、存在が光源の中に参入する領域にまで達する超越の運動の支柱に至るまで、分断された自己すべてを魅了し始めることを許されています。
今皆さんに語り掛けているわたしの根拠は、単純に皆さんには苦痛と苦悩から生み出される恩寵が許されるようになるということです。
これは我々すべてにとって最も喜びに満ちた時であり、それは、我々は数多くの時代を経ながらこの活動を企図してきたからです。
その期間の長さは、誰も数えようとすら思わないほどです。
もはやこれ以上苦しむ必要はなく、そうした苦悩は、存在する愛になることを選択する人々にはこれ以上何の役にも立つことはないからです。
我々は法により生き、その法の中で我々の真正の自己やその現実性に統合し続けていて、我々はその現実性の中に参入しようとする意志を抱いています。
唯一愛と調和にのみ許されている空間が存在していて、惑星地球は現在完全にその自由への上昇に向った動きを促されています。
わたしは必要性を感じているすべての人々がわたしの自我に呼び掛けてくれることを願っています。
または、普遍存在にして、我々自身の個人的な自我を顧みずに行ってきた創造のすべてに対する我々の奉仕に忠実な存在でもある神々や女神達に向っても呼び掛けてくれることを願っています。
我々はすべての創造に属する同じ原初の根源のすべてであるため、ただ我々すべてという集合体のために存在しています。このことを、皆さんは形式的に神として自覚しています。
わたしは皆さんにこれを率直に語ると伴に、わたしという自己を求めているすべての人々にわたしの愛を委ねます。
ヴィシュヌ
Vishnu
http://lightworkers.org/channeling/100877/message-most-high
*********
参照:(ウィキペディア)
ヴィシュヌ(Vishnu, デーヴァナーガリー)は、ヒンドゥー教の神である。三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。
一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラム(円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。
そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。
メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいる。ヴァーハナ(乗り物)はガルダと呼ばれる鳥の王で、鷲のような姿をして描かれたり、鷲と人を合わせた様な姿で描かれる。
神妃(妻)はラクシュミーで、ヴィシュヌの化身に対応して妻として寄り添っている。
ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行きそこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされている。
古くは『リグ・ヴェーダ』にもその名の見える起源の古い神格で、世界を3歩で踏破する自由闊歩の神だった。
その名はサンスクリットで「広がる」「行き渡る」を意味する√viSに由来し、恐らくは世界の果てまで届く太陽光線の神格化であったと考えられる。
そのため後には太陽神アーディティヤの1人ともされた。
最終的には他の太陽神スーリヤを取り込んだ。
しかし、『リグ・ヴェーダ』では、まだ特に重要な位置は持ってはいない。
神話も、少数の讃歌を除けば、主要神インドラが悪と闘う際の盟友のひとりとして言及されている程度である。
後のヒンドゥー教の時代になって、英雄をその化身、アヴァターラ(後述)として取り込んで行くことで民衆の支持を集め、ついにはブラフマー、シヴァと共に三神一体(トリムールティ)の最高神の位置を獲得した。
10世紀前後に作られたカジュラホの寺院郡のいくつかで祭られているヴィシュヌの神像は、寺院を飾るインド的彫刻とくらべて、メソポタミアやエジプト的な印象を受ける。
10世紀以降に南インドでヴィシュヌに関して独自の儀式や教義が発達した。
................くまさんありがと..................☆